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青いままの梅の怪(2)

  • author : さすけ
  • category : 青梅市
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2009/3/2 月曜日   20:37:27

■青いままの梅の怪 ~怨霊と呼ばれた将門と道真~(後編)■

青梅駅を出るとすぐ隣には、青梅商工会議所発行の周辺観光マップが
置かれているので、ぜひ参照されるとよいでしょう。
手書きで作られたカラーのマップで、寺や観光スポット、
飲食店などがひとめでわかるようにイラスト付きで掲載されており、
散策のお供になることでしょう。

この地図は他にもシリーズがあり、青梅の地域別に詳しく
書かれているので、とても便利です。設置場所は、商工会議所、
各地域の市役所出張所、図書館など。

「梅樹となり、東風を得て花を咲かせよ。わが運命もかくの如く開けん」

さて、将門が唱えながら杖にしていた梅の枝を地に挿すと、
枝は根づき立派な木になり青い実をつけました。
これが「将門誓いの梅」の伝説なのです。

「あおうめ」が訛って「おうめ」
青梅市の由来はここからきているのだそう。
 将門誓いの梅は彼の死後、まるで運命をともにするかのように
枯れてしまったため、大目氏が邸宅の梅の木の根元に萌芽していた
「ひこばえ」を新たに植えました。
それが現在の古木であると伝えられています。

以来「大目氏」は読みはそのままに字だけを変え「青梅氏」と
名乗るようになったといいます。

数年前、この青梅のシンボルともいえる梅の木をひとめ見ようと、金剛寺へ。
古木は見るも無残にやせ細り、再起不能と思われました。

 しかし昨年の梅雨時、再び訪れてみると市民の看護の甲斐あってか、
木は勢いよく枝葉を広げ、こうもり傘のように緑の葉を茂らせていたのです。
しかし6月も終わりだというのに肝心の実がひとつもついていないのでした。
通常、梅の実は時期が過ぎれば黄熟して地に落ちます。

しかし金剛寺の梅の実は熟さず、秋の終わりに青いまま落ちるというのです。
この奇怪な現象は、志なかばで非業の死を遂げた将門の祟りではないか?
と人々に恐れられたそうです。

「祟り」と聞けば、何やらおどろおどろしいですが、のちのち調査したところによれば、
突然変異、または青いまま落ちる品種の梅なのだそうです。
ホッとしたような? ちょっとがっかりしたような…?

その原木を前にすれば、伝説の神秘性を信じたい気持ちになってきます。

※参考文献 財団法人日本教育文化協会監修「関東中心 平将門古蹟写真資料集」
      赤城宗徳 著「新編 将門地誌」
kongozi2.jpg

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青いままの梅の怪(1)

  • author : さすけ
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2009/2/6 金曜日   17:07:16

■青いままの梅の怪 ~怨霊と呼ばれた将門と道真~(前編)■

東京の青梅市。何もはじめから「青梅(おうめ)」と呼ばれていたわけでありません。

その地名発祥の由来は案外、知られていないのではないでしょうか?
そこで今回は、青梅発祥のルーツにちなんだ話をご紹介します。

今をさかのぼること、およそ千年前。時は平安。   
下総の豪族であった平将門(たいらのまさかど)は、亡父の領地を奪った
叔父・国香(くにか)を討ち、天下統一を夢見て奮戦する。
やがて彼は自ら親王を名乗り、貧しい民衆のヒーローとしてその名を馳せるが、
朝廷にとって将門は目の上のたんこぶ。
彼は国府を襲撃、恐喝。逆族として追われる身となり、
逃れるように京から西へと奔走するのです。

資料によれば途中、将門は大目氏のはからいで天寧寺
{現・東京都青梅市根ヶ布(ねかぶ)}に立ち寄ったといわれています。
彼は旅疲れでむくんだ足を無造作に投げ出し、地酒を酌み交わし、
オヤジギャグを飛ばしては部下の失笑を買いつつ、
陽気なひとときを過ごした…か? どうかはわかりませんが、
とにかくこの地にしばらく滞在することに……。

天寧寺の寺の滝で沐浴中に竜神様のお告げを受け
西へ向かうことを決意したという伝説もあります。

大目(おおめ)邸には珍しい梅の木があり、将門はその枝を貰い、
戦勝祈願のために同市内の金剛寺(こんごうじ)へ立ち寄ります。

金剛寺はJR青梅駅から徒歩15分ほどのところにある宗の寺で、
境内には近くにある梅岩寺の桜と姉妹のヒガンザクラの古木と、
青梅発祥の由来となった梅の古木が植えられており、
春先には幽玄な佇まいで見事な花を咲かせます。

金剛寺には観光バスも立ち寄れる広い駐車場があるのが便利です。
また春だけでなく、6月にはクチナシやアジサイも楽しめます。

kongozi1.jpg

※参考文献(前・後編)
財団法人日本教育文化協会監修「関東中心 平将門古蹟写真資料集」
赤城宗徳 著「新編 将門地誌」

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南の山の玉手箱(後編)

  • author : さすけ
  • category : 青梅市
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2008/10/28 火曜日   14:40:05

辛垣山城(からかいやまじょう)は500メートルに満たない低山ながら、道中はかなりハード。
それは比高差が大きく、登りが急峻なためです。
しかし登山コースになっているため、要所、要所に案内板が設置され、
ルートはわかり易くなっています。

ただ低山とはいえ登山ですので、軽装での入山や猟の行われる冬季から
3月にかけての登城は細心の注意が必要ですし、充分な下調べと装備で臨んでください。
これは意外に知られていないのですが、奥多摩・青梅の山で滑落したり、
遭難する人の数は、谷川岳に匹敵する数なのだそうです。
その殆どが1000メートルに満たない低山だと言います。
「東京の山だから」といって油断は大敵です。

karak.jpg

辛垣城の近くにある枡形山(ますがたやま)も城跡ですが、道が整備されていないため、
詳細な地形図と地図を持っていなければ、登山はおすすめできません。

枡形山城(ますがたやまじょう)は、まさに難攻不落の城なわけですが、
人手が加えられていない分、針葉樹に守られたために
良好な遺構が残ったとも言えるでしょう。
綱秀が詠んだ「南の山」とは、辛垣城からちょうど南側に見える
この枡形山のことではないか?と推測されます。

しかし「南」といっても、何もすぐ近くの山とも限りません。
大石氏の居城だった戸倉城(とくらじょう・あきる野市の光厳寺<ごうごんじ>)や
多摩川対岸に位置する北条氏照(ほうじょううじてる)の居城だった
滝山城(たきやまじょう・八王子市丹木町)とも考えられます。
真実は神のみぞ知るといったところでしょう。
すさまじく燃え盛る炎の中で綱秀は何を思ったのでしょうか?

相次ぐ石灰算出により、遺構のほとんどが破壊されてしまった辛垣山城跡。
付近には「西城」「館」などの字(あざ)だけが今も残っています。
三田氏の領地は、西は奥多摩、東は羽村(はむら)まで
(三田氏の領地の端(はし)の村(むら)であることから羽村)。

「城山(じょうやま)」「将門(まさかど)馬場(ばば)」「七(なな)ッ(つ)石山(いしやま)」
「三ノ木戸(さぬきど)」「羽黒坂(はぐろざか)」「城(じょう)」「絹笠(きのかさ)」
「将門(まさか)っ原(ぱら)」「将門神社(まさかどじんじゃ)」「尾崎(おざき)の柵(さく)」
「浜竹(はまたけ)の柵(さく)」「一(いっ)峰院(ぽういん)」
「阿蘇神社(あそじんじゃ)」など「将門誓(まさかどちか)いの梅」から発祥した青梅には、
将門やその後裔の三田氏に関連がある地名、史跡、旧跡が数多く存在します。

現在では、残念ながら、そのほとんどが地名にそのなごりを留めるのみです。
————-

南の山の玉手箱
~三田氏終焉(しゅうえん)の地をたずねる~

■参考文献■
大館勇吉・著「奥多摩風土記」
赤城宗徳・著「平将門」「新編・将門地誌」
小幡晋・著「多摩の古城址」
東京都教育委員会設置案内板
河村掃部・著「八王子城滅亡」
青梅市教育委員会発行「青梅のむかし話」

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南の山の玉手箱(中編)

  • author : さすけ
  • category : 青梅市
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2008/9/26 金曜日   16:35:03

さあ踏み切りを渡れば海禅寺です。
寺は建っているというより、そびえているといった印象です。

寺の高い石垣と石段は城壁を彷彿とさせる貫禄があります。
急な石段の下から見上げると、立派な山門の「瑞龍山」の扁額と、
両脇に施された見事な彫刻が目の中に飛び込んできます。

kaizenzi.jpg

この寺を菩提寺に持つ三田一族は、青梅・奥多摩地域の豪族で、
その昔は「杣の保(そまのほ)」「相馬の保(そうまのほ)」と称されていました。
今でいう林業に従事する人たちの総称です。

三田氏の墓所は、本堂横の急斜面を登ったところにあります。
木陰にひっそり立ち並ぶ墓所からは、青梅の町が見渡せます。
綱秀もここから町を見下ろしていたのでしょうか?

mitasibosyo.jpg

東京都教育委員会の案内板によれば、ここに立ち並ぶ宝飾印塔と
五輪塔(首塚)は三田氏個人の墓石ではなく、安土桃山もしくは、
江戸時代に設置された供養塔ではないか?とのこと。

また面白い伝承も残っています。
青梅市教育委員会発行「青梅のむかし話」によれば、海禅寺の和尚が
天狗と問答を競い、負けた天狗が残した書がこの寺にあるというもの。
この書は幸いにも火災を逃れ、今も寺で大切に保管されているそうです。

何とも不思議な書体で「雪・覆・芦・花」と書かれているそうですが、
言葉の意味は不明。青梅には寺などにまつわる伝説や伝承が多く、
この寺の伝承も青梅七不思議のひとつに数えられています。

「辛垣(からかい)の、南の山の玉手箱(たまてばこ)、
開けて悔しき、わが身なりけり」
三田綱秀・辞世の句

綱秀が詠んだ「辛垣」とは、寺の裏手にある辛垣山城
(からかいやまじょう・別名=西城{にしじろ})のことで、綱秀最期の居城です。

そして寺と共に燃えた城とは、まさにこの城のこと。
江戸城復興の際に使われた漆喰(しっくい)が、辛垣山の石灰から
産出していることを考えると、永きに渡り青梅が主要な地域であったことが
お分かりいただけるかと思います。

辛垣城の落城(らくじょう)は、八王子(はちおうじ)城主だった
北条氏照(ほうじょううじてる)らによるもの。

かつての勝沼(かつぬま)城主(青梅市勝沼)で、後の辛垣城主だった
綱秀は落城の後、埼玉県の岩槻(いわつき)まで逃れ、自刃したと言われています。

綱秀の享年には諸説ありますが、最高齢で73歳だったという説まで。
戦乱の世にあって、古希まで生きていたとは驚きです。
戦国時代にしては、かなりの長寿といえますね。

————-

南の山の玉手箱
~三田氏終焉(しゅうえん)の地をたずねる~

■参考文献■
大館勇吉・著「奥多摩風土記」
赤城宗徳・著「平将門」「新編・将門地誌」
小幡晋・著「多摩の古城址」
東京都教育委員会設置案内板
河村掃部・著「八王子城滅亡」
青梅市教育委員会発行「青梅のむかし話」

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南の山の玉手箱(前編)

  • author : さすけ
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2008/8/26 火曜日   10:42:40

~三田氏終焉(しゅうえん)の地をたずねる~

今回は、さらにJR青梅線を奥多摩方面へと乗り継ぎ、
二俣尾駅(ふたまたおえき)周辺の寺院をご紹介したいと思います。

JR二俣尾駅は、無人駅の多いこの路線には珍しく、駅員さんがいました。
ホームへ降りた途端、野鳥のおしゃべりが聴こえてきます。
鳴き声の主は、ウグイスとイカル。
その絶妙な掛け合いに、しばし耳を澄ましてみませんか?

山々に囲まれたこの地域では、町中でも野鳥の姿を容易に見ることができます。
夜まで待てば、ミミズクのホーホーという鳴き声が聴こえ、
河原では何と、かじかの涼しげな声まで。
それだけ自然がゆたかで水が綺麗なのでしょう。

futamataoeki2.jpg

緑のわりあいが多くなるのも、ちょうど二俣尾あたりから。
春ともなれば、町のいたるところに青梅市のシンボルの梅の花が咲き乱れ、
甘い芳香が鼻先をくすぐるのだから、言うことなしです。

二俣尾駅前には、コンビニエンスストアがあり、近くの消防分署の屋上には、
今では珍しい旧式の警鐘がオブジェのようにそびえています。
使われているのでしょうか?

青梅街道を立川方面へ歩き出すとすぐ、「らびっと」という
ログハウス風のレストランが見えてきます。
この店のコーヒーは絶品だと、みな口を揃えます。

さて街道沿いに5分ほど歩けば、前回ご紹介した青梅・奥多摩一帯(通称・三田谷)を
治めていた三田氏の菩提寺(ぼだいじ)、海禅寺(かいぜんじ)があります。
この寺には、枝垂れ桜の大木があり、3月から4月にかけて見事な花を咲かせます。
境内には、クスノキの大木もあり、歴史に興味のない方でも訪れて損はないでしょう。

海禅寺は寛正年間(1460~1465)に一州伊和尚による開山で、
のちに三田綱秀(つなひで)が再興したとされています。

戦国時代、北条軍の侵攻により四面楚歌に立たされた三田綱秀。
この時、裏切り者の家臣の手により放たれた烽火は、
綱秀の居城も寺も焼き尽くしました。

その後、寺は再興されましたが、再び昭和になって火災に見舞われます。

唯一、火の手をのがれた山門だけが、寺から少し離れた場所に移築されており、
その姿は何ともわびしく、平成を生きる私たちに何か語りかけてくるようです。

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南の山の玉手箱
~三田氏終焉(しゅうえん)の地をたずねる~

■参考文献■
大館勇吉・著「奥多摩風土記」
赤城宗徳・著「平将門」「新編・将門地誌」
小幡晋・著「多摩の古城址」
東京都教育委員会設置案内板
河村掃部・著「八王子城滅亡」
青梅市教育委員会発行「青梅のむかし話」

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知られざる城跡(後編)

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2008/7/30 水曜日   17:14:18

宮ノ平塁は、近くにある盾の沢城と関連があると言われており、
小高い丘の上にあります。階段を登って境内を見渡しても
これといった遺構は見当たりませんが、ぐるりと境内を囲むように
低く土が盛られており、敵を防御する土塁の名残に見えなくもありません。

その低さから神社の土塁とも考えられますが、街道との7、8メートルの
比高差を考慮にいれると城を構えるには最適な土地だと推察できます。

img_7200.jpg

また、神社のすぐ横を流れる小さい沢が水堀の跡では? などと
想像してみると納得がいく気がします。

※土塁…土を盛り上げて敵の侵入を防ぐための防御壁のようなもの
※水掘…堀には空堀と水堀があり、堀に水を入れ敵の侵入を阻むのが水堀。
堀を掘った際に出た土を土塁に使用していた。

こうした歴史的背景を踏まえて訪れると、また散策の楽しみにも
深みが増すのではないでしょうか。

神社の賽銭箱の横には、月毎にさまざまな偉人の句が置かれています。
私がいただいたのは3月のもので、勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と
称される山岡鉄舟が剣の道を極めたときに詠んだものでした。

「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山、もとの姿は変わらざりけり」

実にいい言葉ですね。裏にはちゃんと解説もついていました。
山岡鉄舟もまた青梅にゆかりがあり、吉野街道沿いにある石挽きソバ屋「並木」さん
(青梅市和田町)の看板の字を書いた人物でもあります。
まさに文武両道。

神社の裏手には、あじさいが丁寧に植えられ、手入れが行き届いており、
毎年、梅雨には色とりどりの涼しげな花が私たちの目を楽しませてくれます。
また隣の保育園の前には土俵があり、毎年9月には
ちびっ子相撲がとり行われているそうです。
この土地もまた塁跡の推定地と言われています。

普段は閑静なこの神社も大晦日や元旦、9月の例大祭には、
夜店や催しものなどが開催され、地域の人を筆頭に、にぎわいます。

img_7213.jpg

他にも青梅街道沿いには、住吉神社、稲葉家住宅、森下陣屋などといった歴史的史跡、
旧跡もあり、歴史散歩が楽しめます。
このように青梅は、梅とレトロな宿場町というだけでなく、古き良き歴史の街でもあるのです。

さらに寺から奥多摩方面に向かえば、二俣尾の海禅寺など、三田氏ゆかりの史跡、
旧跡がありますが、それはまた次の機会に。

参考文献(前編・後編)
 幡晋・著「多摩の古城址」
 東京都神社庁発行「生命の言葉」
 慶友社刊 「武蔵名勝図会」

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知られざる城跡(前編)

  • author : さすけ
  • category : 青梅市
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2008/7/4 金曜日   13:15:47

青梅市は東京の西多摩地域という片田舎に位置しながらも、
町おこしの一貫でレトロな町並みを再現した宿場町として、
また2万5千本もの梅林が広がる吉野梅郷もあることなどから、
観光地として有名です。
春ともなれば全国各地から梅見客が訪れ、にぎわいをみせます。

 

また、河辺駅周辺などの東部以外の地域は豊かな丘陵や

山地に恵まれ、開発はあまり進んでいないため、都内でも有数の

ハイキングや登山などの行楽地としても、よく知られています。

新宿まで電車で1時間強。都内からも青梅駅直通のJR線も走っており、

交通の便も比較的よいのも魅力的です。
青梅駅からさらに1駅、奥多摩方面に足をのばせば、宮ノ平駅に到着します。

こちらはガラリと変わって、今では珍しいのどかな無人駅。
都内のJR線でこんなに無人駅が多いのは、この区間だけではないでしょうか。

miyanohiraekimae.jpg 

宮ノ平駅の階段を南側に降りてみると、昔ながらの赤いポストと
モミジの大木が出迎えてくれます。

初めてここを訪れた人が「懐かしい」と声を揃えるのも

何だかうなずける気がします。
まるで田舎に帰ってきたような気持ちになるのですから。
 

駅を北側へ降りれば、青梅丘陵のハイキングコース入り口になっており、
ハイカーが季節を問わず訪れます。

かくいう私も数年前に歩いたことがあります。
都心部にお住まいの方は、青梅から先のほとんどの駅が

無人駅であることに、まずは驚かれるのではないでしょうか。

宮ノ平駅からJR青梅線の最終駅・奥多摩駅までの区間は、

ほぼ無人駅。宮ノ平駅にも自動改札はありません。

 

しかし切符購入や定期などを通す機械は設置されていますので、ご安心を。
宮ノ平駅は、同じ市内でも河辺駅などと比較すると

喧騒がウソのように静かです。

 img_7202.jpg

さて、宮ノ平駅から奥多摩方面に向かって青梅街道を

道なりに歩いてゆくと、数分のところに和田乃神社があります。

向かいには「山城屋」さんという景観がよく、おいしい

おそばを食べることが出来るお店があります。
また隣の消防署の前に植えられた白いあじさいは、今が見頃です。

 

和田乃神社は旧・和田村(現在の日向和田)の鎮守さまで、

ご神体は馬上の童子像で境内には、昭和天皇お手植えの

枝垂糸杉が植えられています。

この神社は三田時代(武蔵国多摩郡三田領領主三田氏)の

塁跡の推定地で「宮ノ平塁」と呼ばれており、城塞のひとつではないかと

考えられています。残念ながら案内板などは設置されていないため、

知る人ぞ知る城跡といったところです。

 

 

※塁…本城の外の要所に築く小規模な城。出城。柵塁(さくるい)。

外敵の攻撃を防ぐための建造物。要塞のこと 

 

参考文献(前編・後編)

 小幡晋・著   「多摩の古城址」
 東京都神社庁発行「生命の言葉」
 慶友社刊    「武蔵名勝図会」

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武蔵境の食糧事情

  • author : SuzukiAkihiro
  • category : 武蔵野市
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2008/3/26 水曜日   22:36:52

お久しぶりの登場です。

毎日の食糧がしっかりと手に入る、いい食料品店が近くにあるかどうかということは住む場所を決める上で非常に重要なことです。しかし、いざ家を買うとなると、絶対に必要な条件でないこともあり、あまり気にせずに住むところを決めてしまうことが多いものです。でも、毎日食べる食事だから、あまり我慢をしたくはないものですよね。

そんなわけで、これまでも食料品店についてはいくつか紹介してきましたが、今回は武蔵境の食糧事情を紹介します。

武蔵境の食糧供給を語る上で外せないのは、やはり前にもご紹介しましたイトーヨーカドー武蔵境店ですね。

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東館の地下食料品売り場は面積でも品揃えでも周辺のスーパーをかなりリードしています。特に鮮魚のコーナーの充実度はかなりのもの。季節には毎日安いさんま、鮭の切り身などの定番おかずから、刺身まで、とにかく種類が豊富です。

さて、そんなイトーヨーカドーにせまるのが、北口のハナマサ武蔵境店。

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こちらではほかのハナマサ同様、業務用食品から小売りまで手広くやっています。

特に得意分野である肉類に関してはかなり安いです。ただ、グラムあたりは安いのですが、その分1パックあたりの量が多いのでご注意。僕は購入したら、ラップで一食に使う分ごとに分けて冷凍しています。もちろん家族が多い場合は普通にここで肉を買うのがお得だと思われます。野菜や調味料、業務用の麺やパスタもあるので、まとめ買いに非常に便利なお店です。

忘れてはならないのが、武蔵境駅北口のすきっぷ通り商店街。

img_1224.jpg

ネーミングはともかく、惣菜屋や持ち帰り弁当店がやたらと充実しているので、その日のおかずもう一品!なんて時には非常に利用価値があります。

もちろん生鮮食品を扱うお店もあります。常連さんも多いみたいです。お店の人との触れ合いを重視される方はこちらのほうが楽しい買い物ができるかもしれませんね。

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さて、武蔵境のスーパーは、イトーヨーカドーが夜23時まで、ハナマサが夜22時までと単身者や共働きにもありがたい営業時間になっていますが、営業時間で負けないのがこちらのエコスたいらや(武蔵境北口徒歩5分強)。

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なんとこちらの営業時間は24時間!

スーパーとしてもなかなかの売り場面積がありますのでありがたい存在です。

以上、かけあしですが武蔵境駅周辺の食糧事情をご紹介しました。
武蔵境は長らく中央線の開かずの踏み切りで南と北に区切られていて、車での買い物となると南北を行き来するのも大変なことでした。しかしこのとおり2008年3月現在、片側が高架になっており、近い将来全て高架になります。これにより南北どちらのお店も使いやすくなるということで、より一層食糧事情がよくなることが予想されます。色々なお店を周って楽しんでみてはいかがでしょうか・・・。

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青梅赤塚不二夫会館

  • author : HBW-01
  • category : 青梅市
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2008/3/3 月曜日   15:04:02

『天才バカボン』『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』などの著名な
代表作品を持つマンガ家、赤塚不二夫さん。

バカボンのパパ、イヤミ、あるいは作品をまたいで登場するニャロメや
レレレのおじさんといったキャラクターを生み出した、そんな赤塚ワールドを
存分に堪能できるのが、今回紹介する「青梅赤塚不二夫会館」です。

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入り口には逆立ちポーズのバカボンパパとイヤミ、そしてレレレのおじさんが。
バカボンのパパはJR青梅駅改札に置かれている像のシルバーバージョンですね。

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入館してすぐのスペースには拳銃を扱わせればおそらく世界一(?)の腕前、
ただ怒るとすぐ乱射するのが玉にきずの本官さんと、レレレのおじさんの像が。
そして、壁一面を使って走り回る、圧巻の赤塚キャラクター大集合!
キャラの名前が全部分かるかた、いらっしゃいますか?

dscn0824.jpg

赤塚キャラ大集合のにぎやかな側面では、赤塚さんお気に入りの
映画看板が展示されていました。

dscn0827.jpg

奥に進むと、パネルで赤塚さんとゆかりのある人々とのスナップが。

写真にも写っているタモリさんとは、縁あって赤塚さんが居候させたことがある仲。
その後、赤塚さんが司会をつとめる番組にタモリさんを出演させるなど、
芸能界入りのきっかけをつくりました。

ひときわ大いパネルの人物は、ボクシングの元世界チャンピオン、モハメド・アリ氏です。

dscn0829.jpg

「赤塚不二夫 漫画家生活25周年パーティ」の2次会でのひとコマ。
なかには『ドラえもん』『パーマン』を代表作にもつ藤子・F・不二雄さん、
『忍者ハットリくん』『笑ゥせぇるすまん』の藤子不二雄Aさん、
『仮面ライダー』『サイボーグ009』の石ノ森章太郎さんらの姿も。

こうしたマンガ界を代表する作家たちは売れるようになるずっとむかし、
ある場所で出逢っています。

dscn0832_re.jpg

それがこのトキワ荘、マンガ雑誌を出版していた学童社が、おかかえの作家たちを
住まわせていたアパートです。

トキワ荘には手塚治虫さんをはじめ、かつては赤塚不二夫さん、藤子・F・不二雄さん、藤子不二雄Aさん、
石ノ森章太郎さんらが住んでおり、つのだじろうさんなどもよく訪れていたといいます。

先述のような経緯があったとはいえ、のちに日本のマンガ界を代表するメンバーが無名時代に
そろって同じアパートに住んでいたなんて、とんでもなく奇跡的なめぐり合わせですよね。

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昭和幻燈館

  • author : HBW-01
  • category : 青梅市
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2008/2/29 金曜日   18:18:27

JR青梅駅正面の道を突き当たった通り、シネマチックロード。
このシネマチックロードには、昭和に公開された映画の看板が通りを彩っています。

こうした映画の看板を数多く手がけた絵師・久保板観さんの作品と、
映画やコマーシャルで美術やジオラマ作家として知られる山本高樹さんの
作品を集めて展示しているのが、昭和幻燈館です。

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昭和幻燈館にかかっていた看板の作品は、『ある愛の詩』。
恋愛映画として人気があるだけでなく、エンディングからつながる手法を流行らせた
回想ではじまる冒頭シーンなど、演出面においてもエポックメイキングな作品でした。
また、フランシス・レイによる美しい旋律のテーマが悲恋の名曲として
多くの人に知られています。

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館内には久保さんが手がけた看板と、山本さんのジオラマ作品群でいっぱい。
久保さんがこれまでに描いてきた映画看板の枚数は、三千枚を超えるといわれます。
題材が実写であるにも関わらず、写真ではなく一枚の絵という表現手段で
その作品の魅力を的確に表し、伝えることができる数少ない絵師です。

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江戸川乱歩の小説『押絵と旅する男』に登場する12階建ての建造物、凌雲閣。
凌雲閣は関東大震災で倒壊するまで、浅草に実在したランドマークです。

そんな凌雲閣を舞台とし、美女を気球でさらうという破天荒な作戦に慌てふためく
警官たちをあざ笑うかのような、怪人二十面相の表情が思い浮かんできそう。

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永井荷風『墨東奇譚』の舞台を再現した街並。
グレーのスーツを着て橋を渡っている男性は永井荷風その人。
山本さんのジオラマは小さいながら間近で見ると、
どれもスケール感あふれる作りです。

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神保町の書店街より。
本の一冊一冊まで丁寧に作り込まれているのが分かりますね。

なお、この博物館の名称はTBS系列『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』やフジテレビ
『世にも奇妙な物語』の演出、また『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』の
テレビドラマ企画など、演出家・小説家・プロデューサーとその多才ぶりをいかんなく
発揮した故・久世光彦さんのエッセー『昭和幻燈館』に由来しているのだそうです。

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毎日散歩は1時間半してるからな。銀座・新宿は当然、徒歩圏。

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