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南の山の玉手箱(中編)
- category : 青梅市
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2008/9/26 金曜日 16:35:03
さあ踏み切りを渡れば海禅寺です。
寺は建っているというより、そびえているといった印象です。
寺の高い石垣と石段は城壁を彷彿とさせる貫禄があります。
急な石段の下から見上げると、立派な山門の「瑞龍山」の扁額と、
両脇に施された見事な彫刻が目の中に飛び込んできます。
この寺を菩提寺に持つ三田一族は、青梅・奥多摩地域の豪族で、
その昔は「杣の保(そまのほ)」「相馬の保(そうまのほ)」と称されていました。
今でいう林業に従事する人たちの総称です。
三田氏の墓所は、本堂横の急斜面を登ったところにあります。
木陰にひっそり立ち並ぶ墓所からは、青梅の町が見渡せます。
綱秀もここから町を見下ろしていたのでしょうか?
東京都教育委員会の案内板によれば、ここに立ち並ぶ宝飾印塔と
五輪塔(首塚)は三田氏個人の墓石ではなく、安土桃山もしくは、
江戸時代に設置された供養塔ではないか?とのこと。
また面白い伝承も残っています。
青梅市教育委員会発行「青梅のむかし話」によれば、海禅寺の和尚が
天狗と問答を競い、負けた天狗が残した書がこの寺にあるというもの。
この書は幸いにも火災を逃れ、今も寺で大切に保管されているそうです。
何とも不思議な書体で「雪・覆・芦・花」と書かれているそうですが、
言葉の意味は不明。青梅には寺などにまつわる伝説や伝承が多く、
この寺の伝承も青梅七不思議のひとつに数えられています。
「辛垣(からかい)の、南の山の玉手箱(たまてばこ)、
開けて悔しき、わが身なりけり」
三田綱秀・辞世の句
綱秀が詠んだ「辛垣」とは、寺の裏手にある辛垣山城
(からかいやまじょう・別名=西城{にしじろ})のことで、綱秀最期の居城です。
そして寺と共に燃えた城とは、まさにこの城のこと。
江戸城復興の際に使われた漆喰(しっくい)が、辛垣山の石灰から
産出していることを考えると、永きに渡り青梅が主要な地域であったことが
お分かりいただけるかと思います。
辛垣城の落城(らくじょう)は、八王子(はちおうじ)城主だった
北条氏照(ほうじょううじてる)らによるもの。
かつての勝沼(かつぬま)城主(青梅市勝沼)で、後の辛垣城主だった
綱秀は落城の後、埼玉県の岩槻(いわつき)まで逃れ、自刃したと言われています。
綱秀の享年には諸説ありますが、最高齢で73歳だったという説まで。
戦乱の世にあって、古希まで生きていたとは驚きです。
戦国時代にしては、かなりの長寿といえますね。
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南の山の玉手箱
~三田氏終焉(しゅうえん)の地をたずねる~
■参考文献■
大館勇吉・著「奥多摩風土記」
赤城宗徳・著「平将門」「新編・将門地誌」
小幡晋・著「多摩の古城址」
東京都教育委員会設置案内板
河村掃部・著「八王子城滅亡」
青梅市教育委員会発行「青梅のむかし話」







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