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南の山の玉手箱(後編)
- category : 青梅市
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2008/10/28 火曜日 14:40:05
辛垣山城(からかいやまじょう)は500メートルに満たない低山ながら、道中はかなりハード。
それは比高差が大きく、登りが急峻なためです。
しかし登山コースになっているため、要所、要所に案内板が設置され、
ルートはわかり易くなっています。
ただ低山とはいえ登山ですので、軽装での入山や猟の行われる冬季から
3月にかけての登城は細心の注意が必要ですし、充分な下調べと装備で臨んでください。
これは意外に知られていないのですが、奥多摩・青梅の山で滑落したり、
遭難する人の数は、谷川岳に匹敵する数なのだそうです。
その殆どが1000メートルに満たない低山だと言います。
「東京の山だから」といって油断は大敵です。
辛垣城の近くにある枡形山(ますがたやま)も城跡ですが、道が整備されていないため、
詳細な地形図と地図を持っていなければ、登山はおすすめできません。
枡形山城(ますがたやまじょう)は、まさに難攻不落の城なわけですが、
人手が加えられていない分、針葉樹に守られたために
良好な遺構が残ったとも言えるでしょう。
綱秀が詠んだ「南の山」とは、辛垣城からちょうど南側に見える
この枡形山のことではないか?と推測されます。
しかし「南」といっても、何もすぐ近くの山とも限りません。
大石氏の居城だった戸倉城(とくらじょう・あきる野市の光厳寺<ごうごんじ>)や
多摩川対岸に位置する北条氏照(ほうじょううじてる)の居城だった
滝山城(たきやまじょう・八王子市丹木町)とも考えられます。
真実は神のみぞ知るといったところでしょう。
すさまじく燃え盛る炎の中で綱秀は何を思ったのでしょうか?
相次ぐ石灰算出により、遺構のほとんどが破壊されてしまった辛垣山城跡。
付近には「西城」「館」などの字(あざ)だけが今も残っています。
三田氏の領地は、西は奥多摩、東は羽村(はむら)まで
(三田氏の領地の端(はし)の村(むら)であることから羽村)。
「城山(じょうやま)」「将門(まさかど)馬場(ばば)」「七(なな)ッ(つ)石山(いしやま)」
「三ノ木戸(さぬきど)」「羽黒坂(はぐろざか)」「城(じょう)」「絹笠(きのかさ)」
「将門(まさか)っ原(ぱら)」「将門神社(まさかどじんじゃ)」「尾崎(おざき)の柵(さく)」
「浜竹(はまたけ)の柵(さく)」「一(いっ)峰院(ぽういん)」
「阿蘇神社(あそじんじゃ)」など「将門誓(まさかどちか)いの梅」から発祥した青梅には、
将門やその後裔の三田氏に関連がある地名、史跡、旧跡が数多く存在します。
現在では、残念ながら、そのほとんどが地名にそのなごりを留めるのみです。
————-
南の山の玉手箱
~三田氏終焉(しゅうえん)の地をたずねる~
■参考文献■
大館勇吉・著「奥多摩風土記」
赤城宗徳・著「平将門」「新編・将門地誌」
小幡晋・著「多摩の古城址」
東京都教育委員会設置案内板
河村掃部・著「八王子城滅亡」
青梅市教育委員会発行「青梅のむかし話」




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