南の山の玉手箱(前編)
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2008/8/26 火曜日 10:42:40
~三田氏終焉(しゅうえん)の地をたずねる~
今回は、さらにJR青梅線を奥多摩方面へと乗り継ぎ、
二俣尾駅(ふたまたおえき)周辺の寺院をご紹介したいと思います。
JR二俣尾駅は、無人駅の多いこの路線には珍しく、駅員さんがいました。
ホームへ降りた途端、野鳥のおしゃべりが聴こえてきます。
鳴き声の主は、ウグイスとイカル。
その絶妙な掛け合いに、しばし耳を澄ましてみませんか?
山々に囲まれたこの地域では、町中でも野鳥の姿を容易に見ることができます。
夜まで待てば、ミミズクのホーホーという鳴き声が聴こえ、
河原では何と、かじかの涼しげな声まで。
それだけ自然がゆたかで水が綺麗なのでしょう。
緑のわりあいが多くなるのも、ちょうど二俣尾あたりから。
春ともなれば、町のいたるところに青梅市のシンボルの梅の花が咲き乱れ、
甘い芳香が鼻先をくすぐるのだから、言うことなしです。
二俣尾駅前には、コンビニエンスストアがあり、近くの消防分署の屋上には、
今では珍しい旧式の警鐘がオブジェのようにそびえています。
使われているのでしょうか?
青梅街道を立川方面へ歩き出すとすぐ、「らびっと」という
ログハウス風のレストランが見えてきます。
この店のコーヒーは絶品だと、みな口を揃えます。
さて街道沿いに5分ほど歩けば、前回ご紹介した青梅・奥多摩一帯(通称・三田谷)を
治めていた三田氏の菩提寺(ぼだいじ)、海禅寺(かいぜんじ)があります。
この寺には、枝垂れ桜の大木があり、3月から4月にかけて見事な花を咲かせます。
境内には、クスノキの大木もあり、歴史に興味のない方でも訪れて損はないでしょう。
海禅寺は寛正年間(1460~1465)に一州伊和尚による開山で、
のちに三田綱秀(つなひで)が再興したとされています。
戦国時代、北条軍の侵攻により四面楚歌に立たされた三田綱秀。
この時、裏切り者の家臣の手により放たれた烽火は、
綱秀の居城も寺も焼き尽くしました。
その後、寺は再興されましたが、再び昭和になって火災に見舞われます。
唯一、火の手をのがれた山門だけが、寺から少し離れた場所に移築されており、
その姿は何ともわびしく、平成を生きる私たちに何か語りかけてくるようです。
南の山の玉手箱
~三田氏終焉(しゅうえん)の地をたずねる~
■参考文献■
大館勇吉・著「奥多摩風土記」
赤城宗徳・著「平将門」「新編・将門地誌」
小幡晋・著「多摩の古城址」
東京都教育委員会設置案内板
河村掃部・著「八王子城滅亡」
青梅市教育委員会発行「青梅のむかし話」
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知られざる城跡(後編)
- category : 青梅市
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2008/7/30 水曜日 17:14:18
宮ノ平塁は、近くにある盾の沢城と関連があると言われており、
小高い丘の上にあります。階段を登って境内を見渡しても
これといった遺構は見当たりませんが、ぐるりと境内を囲むように
低く土が盛られており、敵を防御する土塁の名残に見えなくもありません。
その低さから神社の土塁とも考えられますが、街道との7、8メートルの
比高差を考慮にいれると城を構えるには最適な土地だと推察できます。
また、神社のすぐ横を流れる小さい沢が水堀の跡では? などと
想像してみると納得がいく気がします。
※土塁…土を盛り上げて敵の侵入を防ぐための防御壁のようなもの
※水掘…堀には空堀と水堀があり、堀に水を入れ敵の侵入を阻むのが水堀。
堀を掘った際に出た土を土塁に使用していた。
こうした歴史的背景を踏まえて訪れると、また散策の楽しみにも
深みが増すのではないでしょうか。
神社の賽銭箱の横には、月毎にさまざまな偉人の句が置かれています。
私がいただいたのは3月のもので、勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と
称される山岡鉄舟が剣の道を極めたときに詠んだものでした。
「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山、もとの姿は変わらざりけり」
実にいい言葉ですね。裏にはちゃんと解説もついていました。
山岡鉄舟もまた青梅にゆかりがあり、吉野街道沿いにある石挽きソバ屋「並木」さん
(青梅市和田町)の看板の字を書いた人物でもあります。
まさに文武両道。
神社の裏手には、あじさいが丁寧に植えられ、手入れが行き届いており、
毎年、梅雨には色とりどりの涼しげな花が私たちの目を楽しませてくれます。
また隣の保育園の前には土俵があり、毎年9月には
ちびっ子相撲がとり行われているそうです。
この土地もまた塁跡の推定地と言われています。
普段は閑静なこの神社も大晦日や元旦、9月の例大祭には、
夜店や催しものなどが開催され、地域の人を筆頭に、にぎわいます。
他にも青梅街道沿いには、住吉神社、稲葉家住宅、森下陣屋などといった歴史的史跡、
旧跡もあり、歴史散歩が楽しめます。
このように青梅は、梅とレトロな宿場町というだけでなく、古き良き歴史の街でもあるのです。
さらに寺から奥多摩方面に向かえば、二俣尾の海禅寺など、三田氏ゆかりの史跡、
旧跡がありますが、それはまた次の機会に。
参考文献(前編・後編)
幡晋・著「多摩の古城址」
東京都神社庁発行「生命の言葉」
慶友社刊 「武蔵名勝図会」
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知られざる城跡(前編)
- category : 青梅市
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2008/7/4 金曜日 13:15:47
青梅市は東京の西多摩地域という片田舎に位置しながらも、
町おこしの一貫でレトロな町並みを再現した宿場町として、
また2万5千本もの梅林が広がる吉野梅郷もあることなどから、
観光地として有名です。
春ともなれば全国各地から梅見客が訪れ、にぎわいをみせます。
また、河辺駅周辺などの東部以外の地域は豊かな丘陵や
山地に恵まれ、開発はあまり進んでいないため、都内でも有数の
ハイキングや登山などの行楽地としても、よく知られています。
新宿まで電車で1時間強。都内からも青梅駅直通のJR線も走っており、
交通の便も比較的よいのも魅力的です。
青梅駅からさらに1駅、奥多摩方面に足をのばせば、宮ノ平駅に到着します。
こちらはガラリと変わって、今では珍しいのどかな無人駅。
都内のJR線でこんなに無人駅が多いのは、この区間だけではないでしょうか。
宮ノ平駅の階段を南側に降りてみると、昔ながらの赤いポストと
モミジの大木が出迎えてくれます。
初めてここを訪れた人が「懐かしい」と声を揃えるのも
何だかうなずける気がします。
まるで田舎に帰ってきたような気持ちになるのですから。
駅を北側へ降りれば、青梅丘陵のハイキングコース入り口になっており、
ハイカーが季節を問わず訪れます。
かくいう私も数年前に歩いたことがあります。
都心部にお住まいの方は、青梅から先のほとんどの駅が
無人駅であることに、まずは驚かれるのではないでしょうか。
宮ノ平駅からJR青梅線の最終駅・奥多摩駅までの区間は、
ほぼ無人駅。宮ノ平駅にも自動改札はありません。
しかし切符購入や定期などを通す機械は設置されていますので、ご安心を。
宮ノ平駅は、同じ市内でも河辺駅などと比較すると
喧騒がウソのように静かです。
さて、宮ノ平駅から奥多摩方面に向かって青梅街道を
道なりに歩いてゆくと、数分のところに和田乃神社があります。
向かいには「山城屋」さんという景観がよく、おいしい
おそばを食べることが出来るお店があります。
また隣の消防署の前に植えられた白いあじさいは、今が見頃です。
和田乃神社は旧・和田村(現在の日向和田)の鎮守さまで、
ご神体は馬上の童子像で境内には、昭和天皇お手植えの
枝垂糸杉が植えられています。
この神社は三田時代(武蔵国多摩郡三田領領主三田氏)の
塁跡の推定地で「宮ノ平塁」と呼ばれており、城塞のひとつではないかと
考えられています。残念ながら案内板などは設置されていないため、
知る人ぞ知る城跡といったところです。
※塁…本城の外の要所に築く小規模な城。出城。柵塁(さくるい)。
外敵の攻撃を防ぐための建造物。要塞のこと
参考文献(前編・後編)
小幡晋・著 「多摩の古城址」
東京都神社庁発行「生命の言葉」
慶友社刊 「武蔵名勝図会」
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